| どれが本物の聖書なのか? 画像付カタログ (PDF) 《 神の奉仕者シリーズ 》 |
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《 おすすめします 》
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「いろいろな教派や教団の教えの中で正しいのはどれですか?」 「聖書の正しい教理とは何ですか?」 「○○という教理は聖書的ですか?」などの質問を受けたことはないでしょうか? そのような場合におすすめするのが、「カリスマティック・ミニストリー」と、その続編である「奉仕の備え」です。 「○○教理問答」「○○教団信仰告白」など、各教派・教団・団体による教えは数々存在しますが、「基本教理」を詳しく解説している本として、この「カリスマティック・ミニストリー」をおすすめします。特定の教派や教団・特定の人物の教えなどに偏ることなく、聖書そのものがどういうことを教えているかを知ることができます。 その続編が「奉仕の備え」ですが、この二冊の本には、教理に関することがらのほか、「なぜ奉仕者が失敗するのか?・失敗しない奉仕者の備え・クリスチャンの倫理・教会戒規…」などの重要なポイントについても述べられていて、教会や教派の諸問題や教えのちがいに関心のある方々には、特におすすめする良書です。 |
《 著者について 》
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●ゴードン・リンゼイ: ゴードン・リンゼイは妻のフレッダ・リンゼイとともにアメリカ・テキサス州でクライスト・フォー・ザ・ネイションズ(CFN)および聖書学校を設立しました。 彼は非常に優れた聖書教師であり、彼の著作は250冊以上に及んでいます。CFNの働きは、現在は妻のフレッダ・リンゼイや息子のデニス・リンゼイらが受け継いでおり、全世界120ヶ国で宣教活動が展開されています。 ゴードン・リンゼイについて、ケネス・E・ヘーゲン師は、「キリスト教界で尊敬されていた指導者であり、彼らの著書は霊的にバランスがとれている」と推奨しています。 韓国の大教会の牧師であるチョー・ヨンギ牧師は、1976年、フレッダ・リンゼイが韓国を訪れた際、彼女にこう語りました。 「私はリンゼイ兄弟の本から多くのことを学んでいます。私は何年も彼の本から学んでいます」 ゴードン・リンゼイの数多くの著作は、聖書の教えている内容を正しく解き明かしており、世界の霊的指導者に影響を及ぼしています。 → ゴードン・リンゼイのミニストリー |
《 目 次 》
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第一章 なぜ指導者が失敗するのか? 『すばやい成功』に潜む危険/高級車を購入してし失敗した奉仕者 借金によって転落した奉仕者/不適切な助言をする者たち スタッフにだまされた伝道者/取り巻く人々に利用された指導者 お金のために良心にそむく人々/ある国会議員への誘惑 教派・教団を起こそうとする誘惑/ジョン・ウェスレーとメソジスト教会 『救世主意識』に駆られる人々/ジョン・アレクサンダー・ダウィの失敗 自分を高く上げるために人々を利用して失敗する指導者たち 第二章 失敗しない奉仕者の備え…クリスチャンの倫理 金銭面での倫理/人格面での倫理/道徳的倫理/若い奉仕者の道徳的行ない 健全な教えについての倫理/兄弟姉妹との関係についての倫理 謙遜についての倫理/忠誠と忠実についての倫理 第三章 奉仕者の責任…教会戒規 四つのステップ/戒規事例1…アナニヤとサッピラ 事例2…淫行に対する戒規/事例3…偽教師への裁き 事例4…敵対する者への裁き/荒野の教会における戒規の執行 事例5…ナダブとアビフへの裁き 事例6…神のしもべを批判したミリアムへの裁き/事例7…反逆への裁き 事例8…不満への裁き/神の戒規の実例 第四章 こうすれば成功する!…地域社会に伝道する秘訣 訪問伝道の仕方/私たちの成功した伝道 第五章 伝道者と牧師の関係 第六章 使徒と預言者の奉仕 使徒の第三グループ/預言者の奉仕 第七章 奉仕者のカウンセリング 第八章 奉仕者の特殊な問題…Q&A 奉仕者とこの世の仕事/予算を守ること/献金に関する問題 宗教の名のもとでの計略/若い奉仕者と結婚/奉仕者の子どもの問題 女性の服装/クリスチャンの飲酒は?/講壇での『見せ物』 映画については?/最後の勧め |
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ゴードン・リンゼイ 私は本書を準備するにあたり、私自身の子どもたちのことだけでなく、これから奉仕に入ろうとしている人々のことも念頭に置いています。本書に記されていることが多くの人たちに役立つものとなることを、私は確信しています。 私は本書の内容が、信徒たちにとっても価値あるものとなるよう望んでいます。 神が、いまだかつてなかったような、御霊に満たされた軍隊を起こしてくださり、彼らが祈りと働きに励んでいくように、と私たちは祈っています。 自分の働きに忠実であった人々は、 「よくやった、良い、忠信なしもべよ。…あなたの主の喜びに入りなさい」 (マタイ25・23) という主のことばを聞くことになるでしょう。 それ以上にすばらしい報いは、他に何もありません。 |
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神の子どもたちは神の御霊に導かれて歩むべきですが、他の人々に動かされるままに生きている人も少なくありません。ベルトコンベヤーの上に乗っていれば、あとはいろいろな人が自分に手を加えてくれて、時間がたてば、自分がほぼ予想していた通りに製品が完成していくというような人生です。周囲から与えられるものを受け取ればよいので、自分が何を選択するかで悩む必要はありません。その意味では楽な生き方です。将来の完成図も、初めからわかります。他の製品とあまり変わらないものができあがります。 そういう受け身の生き方をするクリスチャンや奉仕者が少なくありません。 「あなたは牧師になりなさい」とだれかに言われたからという理由だけで、牧師になった人がいるそうです。だれが何に召されているかを、牧師が決めている教会すらあります。言い換えれば、キリストの主権を侵しながら、「人間が人間を召している」のです。 どういう奉仕を、どの場所で、どのように行なうかについて、自分で神のみこころを探った上で決めようとせず、自分の属する教団や組織の判断に任せきりにしている人々がいます。「神に献身するとは、自分の属する教団の神学校に入って、その教団から派遣された場所で奉仕することだ」と頭から思っているのです。しかし、すでに敷かれているレールからはみ出さないようにすればするほど、神が介入して進路を変えてくださるのを自ら困難にしてしまいます。人が何かをしっかり握って放そうとしない時、神は無理やりそれを放そうとはされません。 けれども、はたして神は、人がそのような一生を送るように召されたのでしょうか? そういう生き方をするのが、その人に対する神の完全なみこころなのでしょうか? これらのことに何の疑問も持たない人は、ゴードン・リンゼイの次のことばに耳を傾けるべきでしょう。 『神はご自身の働きを推し進めるために、不完全ではあるものの、さまざまな組織や働きを用いておられます。確かに、人々がいっしょに働くこと自体は、何ら悪いことではありません。 けれども、いつでもキリストがかしらでなければならず、キリストがご自身の民を自由に導き指示するのでなければなりません。組織が踏み込んではいけない領域がいくつかあります。この警告が無視される時、悲しい結果が生じることを歴史は示しています。 奉仕者は、神が自分を召された奉仕の場所や奉仕の種類について、御霊によって自由に導かれるべきです。 もちろん、他の人々が提案やアドバイスを与えることはあるかもしれません。人々が互いに協議することは、ご自身の奉仕者たちに対する神のみこころに決して反しているわけではありません。 しかし、最終的には、人は神のための自分の働きについて、御霊によって導かれていかなければならないのです』 (「カリスマティック・ミニストリー」より) もし、教団が教会や奉仕者を束縛することのない、交わりの機関であるなら、問題はあまりないかもしれません。しかし、教団が中央集権的になって人々を拘束する時、キリストの主権を侵す状況が生じてきます。それが、「組織が踏み込んではいけない領域」なのです。 実際、「教団や指導者の意向に忠実な歩みをするのが、神のみこころなのだ」と錯覚している人々が存在しています。「自分の教団の教理だけが真理であって、それ以外の教えはまちがっていて危険だ」と考えている人々さえいます。彼らは教団から表彰状や感謝状をもらうに値する人々です。 けれども、不完全な人間から成る教団や組織、あるいは指導者の決定を、神のみこころであるとみなして歩むことは、ちょうど、だれかが自分に「預言」したことを神のみこころであるとみなして歩むのと同様に危険です。危険な道を歩んで行けば、いずれ神の完全なみこころから離れてしまうのも、何ら不思議ではありません。人間は神ではありませんし、僭越にも、神の代わりに人々を指図できるほど完全な人など、一人もいません。 同様に、レスター・サムロールも別の側面から指摘しています。 『私の知っている限り、歴史上、急激に変化した教派(教団)は一つもありません。個人個人は変化することがあり得ますが、教派はめったに変化しません。 その理由の一つは、神についてまだ知らなかったことがあったのだと人々が気付いてしまうと、教団の指導者たちが困ることになるからです。 何らかの新たな啓示が与えられた時、組織化された団体がそれを受け入れたことは、いまだかつてありませんでした…個人だけがそうしています。その新たな動きを受け入れる個人が十分な人数となった時、組織は後からついて来るのです。 神があなたにいてほしいと望まれる場所がどこであっても、神とともに動く人でいてください』 (レスター・サムロール著「信仰の先駆者たち」) ベルトコンベヤーの上は居心地が良くて、そこから降りたくないと思うかもしれません。 けれどもクリスチャンは、「だれか任せ」の生き方、「自分の口を開けっ放しにして、人々が与えるえさを何でもついばむ」生き方をすべきではありません。大きな決断や決定をする際はもちろんのこと、人生の一つ一つの歩みについて神の御霊に聞き、神の指示される通りに歩んで行かなければならないのです。 聖書はこう言っています。 「だれでも神の御霊に導かれている人(だれか他の人々や教団に導かれている人、ではありません)、それらの人々が神の子どもです」(ローマ8・14) 「ヤーウェよ、あなたの道を私に(だれか他の人に、ではありません)知らせてください。 あなたの路を私に教えてください。 あなたの真理のうちに、私を歩ませ、私を教えてください。 なぜなら、あなたこそ私の救いの神、あなたを私は一日中待ち望んでいるからです。 ヤーウェを恐れている人はだれか? 彼はその人に、選ぶべき道を示してくださる」 (詩篇25・4、5、12) 自分なりの人間的考えや、周囲の人々の意見、さまざまなプレッシャーや束縛などを、脇に置いてください。そして、完全に純粋で真摯な気持ちになって、自分の人生に対する神のみこころを神に尋ね求めてください。また、常に求め続けていきましょう。それが神の御霊に導かれる人生の第一ステップであるだけでなく、一生すべきことでもあるからです。 エターナル・ライフ・ミニストリーズ |
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