| どれが本物の聖書なのか? 《 霊的成長シリーズ 》 画像付カタログ (PDF) |
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●ケネス・E・ヘーゲン:
ケネス・E・ヘーゲンは、15歳の時に不治の病気で寝たきりの状態となりましたが、1934年に奇跡的にいやされました。 イエス・キリストが幾度も彼に現れてくださり、彼は自分が受けた啓示や真理を人々に教え、また実践し、預言者・教師として約70年間奉仕に携わりました。 彼の設立したレーマ聖書学校(全世界で約3万人を輩出)、息子のケネス・ヘーゲン・ジュニアが牧会するレーマ・バイブル教会(8000人以上の会衆が集う)、孫のクレイグ・ヘーゲンのミニストリーなどが、現在もインパクトある働きを展開しています。 ★ケネス・ヘーゲン・ミニストリーズ、レーマ聖書学校、レーマ聖書教会については、こちらをクリックしてください。 → ケネス・ヘーゲン・ミニストリーズ |
《 目 次 》
第一章 神の愛の特徴
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第二章 神の愛…救われていることの証拠
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第三章 愛…新しい契約の律法
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第四章 神の愛は赦します
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第五章 愛によって歩むことの恵み
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第六章 愛によって歩まないことは 健康に害を及ぼす
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第七章 自分を裁きなさい。そうすれば裁かれません
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第八章 あなたの敵を愛しなさい
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聖書は、神の愛を私たちの人生の大いなる目標とし、大いなる抱負とするよう勧めています。私たちが神のご性質の愛によって歩むことを人生で優先させるよう神が望んでおられるのには、理由があるはずです。 実際、私たちが愛によって歩む時、すばらしい恵みと結果がもたらされるのです。 たとえば、私は五十七年以上の間、神の健康の内を歩んでいます。私が最後に頭痛を経験したのは1933年八月のことでした。今になって頭痛になろうとしても遅すぎます! 私は自分のことを誇っているのではありません。私が誇っているのは、イエス様と彼のみことばです。 さて、私が言うことを誤解しないでください。私は目を見張らされるような機会を幾度か経験してきました。私が思い出せる限り、私に頭痛がとりつこうとした最後の時は、1977年のことでした。私がレーマ聖書学校の私たちのオフィスから通りに出たばかりの時でした。 突然、私の頭が痛み出しました。 私は言いました。「やめろ、サタン! イエスの御名によって、おまえは離れ去らねばならない」 私が曲がり角を曲がらないうちに、それは去っていました。それが、私が覚えている限り、頭痛になりかけた時でした。 愛によって歩むことか、あるいは神に従うことのいずれかの点で、どこかで私がミスをした時は別ですが、それ以外、私はこれまでずっと一度も体の具合が悪くなったことがありません。 愛から一歩でもはずれているのは、罪です。 私はミスをしたたびに、できるだけ速く悔い改め、愛と従順にたち返ってきたのです。 ふつうは、私が悔い改めた瞬間に私はいやされました。私が言っているのは、さまざまな病気の症状がなくなるまで幾日も待っていなければならなかった、という意味ではありません。 私は即座にいやされたか、あるいは、元気になって回復し始めたのです。 私は六十年以上にわたる奉仕の中で、もし私の信仰が働かず、私の祈りが答えられないとすれば、私がまず目を向けるのは赦していない思いがないかどうかである、と言ってきました。私は、病気は全部、赦さない思いが原因で引き起こされると言っているのではありません。私が最初に目を向けるのはそれである、と言っているだけです。 私の言っていることを少しでも誤解しないでください。もし人々が薬を必要とするなら、彼らは薬を飲むべきです。もちろん、医師の監督のもとでです。事実、私は人々が医師の診察を必要とする時、彼らを医師のところへ送ったこともあります。彼らに薬を買ってあげたことすらあります。また、もし私がアスピリンを必要としていて、他の方法でいやしを受けることができないなら、私はアスピリンを飲むことでしょう。 しかし、おわかりのように、愛によって歩むことの恵みは実にすばらしいものであり、みなさんもそれにあずかってほしいと私は望んでいます。その恵みには、健康といやしも含まれています。若い時にその恵みにあずかるのが最善です。そうすれば、あなたはその後の生涯でさまざまな祝福を享受して、神のご性質の愛によって歩むことのさまざまな恵みを享受することができるようになります。 私は非常に注意して愛によって歩むようにしています。愛こそ、繁栄するための神の方法なのです。霊、たましい、体が繁栄するためです。神のご性質の愛によって歩むことこそ、人生のあらゆる分野で繁栄するための道なのです。 |
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