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聖書の信頼性の危機  ウィルバー・N・ピッカリング  PDFファイル

(ウィルバー・N・ピッカリング博士は新約聖書の本文批評学者であり、"The Identity of the New Testament Text"等の著者)
 
繰り返しコピーされてきた聖書の原文

 もしアメリカの憲法のコピー(写し)が完全に正確なものかどうかを確かめようとするなら、ワシントンの国立公文書館で、最初の手書きの原本と照合することが可能です。
 しかし、新約聖書については、そのようなことは不可能です。パウロやペテロや、ほかの第一世紀の使徒たちが書いた原本は、すべて無くなってしまっているからです。それ以後の初期の時代に作られた、そういう原本のコピーのほとんどは、すり切れてしまったり、ローマの皇帝たちによって破壊されたりしました。つまり、その遺物は発見されていないのです。
 十九世紀に新約聖書の初期の写本が数多く発見された結果、新約聖書の原文の語法に関して、数々の疑問が生じました。それらは「ギリシャ語の正統派本文」(Textus Receptus)とは多くの箇所で異なっていましたが、多くの学者は、それらのほうが「より古いもの」だから、原文の写本として、「より良いものである」という結論を下しました。この新たな手法により、ギリシャ語の本文は、おもに、ほんの少数の初期の写本が土台とされるようになりました。
 新約聖書の数々の書の原文は、「手書き」によって繰り返しコピーされ、コピーからコピーが何世代にもわたって作られていきました。その結果、新約聖書の写本の中に、「読み方」の異なるものが多く現れるようになりました。そういうもののいくつかは、単なるスペリング(つづり字)のちがいでした。それよりはるかに深刻なものもありました。(1)ことば、あるいは語句の付加。(2)ことば、語句、節、章や段落全体などの削除、などです。
 これらの「異なる読み方」が生じたのは、写字生たちの不注意なまちがいか、「学者たち」(良い意味でも、そうでなくても)本文を修正しようと、あるいは、改善しようとしたことによるものでした。
 さまざまな異なる読み方が存在する新約聖書のそれぞれの箇所で、どれが「原文の(最初の)読み方」であったかを突き止めるのが、本文批評家たちの仕事です。彼らはこのことを、膨大な量の写本の証拠を、非常に注意深く扱うことによって行うこととされています。
 ところが、本文批評学においては、さまざまな思想の学校(大学、神学校など)が存在しており、そのいずれの学校も、その学校独自の「推測」と基準をもって、ある読み方の正当性や、写本の相対的な重要度を評価しているのです。ある特定の本文批評家の結論を受け入れる前に、その人物の神学的な「推測」と基準の両方を吟味すべきです。

神によって保存されてきた聖書の正統派本文

 キング・ジェームズ版聖書の新約聖書、ウイリアム・ティンダルの聖書、ルターのドイツ語聖書、オリベト会のフランス語聖書、ジュネーブ聖書(英語)は、プロテスタント宗教改革の多くの自国語版の聖書とともに、1550年のステファヌスのギリシャ語本文から翻訳されました。この本文は(1624年のエルセビルの本文とともに)、ギリシャ語の正統派本文(Textus Receptus、すなわち、受け入れられた本文[Recived Text,TR]と呼ばれています。これこそが、「伝統的本文[Traditional Text,TT]であり、ギリシャ正教により何世紀にもわたって読まれ、保存されてきた本文です。
 この本文から生まれたのが、ペシッタ(シリア語訳)聖書、イタリック聖書、ケルト教会聖書、ゴール人(フランス)聖書、ゴシック聖書、中世の福音的なワルドー派およびアルビ派の聖書、そして中世にローマによる抑圧を受けた数々の聖書です。無情にも、多くのコピーが探し出されて滅ぼされてきましたが、この伝統的本文は、全能者によって保存されてきたのです。

退けられてきた「改ざん」本文

 この「伝統的本文」は「多数派本文」としても言及されます。それは、約95パーセントの写本の証拠によって代表されるものだからです。これは、ウェストコットとホートの本文とは全く対照的です。ウェストコットとホートの本文は、信頼できないアレクサンドリア学派(エジプト)タイプ<の本文の二つの写本に大きく依存しており、現代版のほとんどすべての聖書の当てにならない土台となっています。
 十六世紀、エラスムスと宗教改革者たちは、アレクサンドリア学派のバチカン写本および古い大文字写本のグノーシス派(異端)の読み方を知っていて、それを退けたのです。彼らは、それらの異なる読み方腐敗した(改ざんされた)ものと判断したのです。彼らは、そういう、いかがわしい「宝物」を、自分なりの私的解釈に合わせるために本文を改ざんした筆記者たちの産物とみなしたのです。
 彼らはヒエロニムスのラテン語ウルガタ聖書をも、腐敗した聖書、また、自国語聖書のためには不適切な土台として退けました。
 新約聖書の断片として最も初期のものとして知られているのは、パピルス紙の写本、P52です。[1995年までは、そうでした。しかし、1995年、マグダレン・パピルス紙(写本)紀元66年のものと判明し、これが現存する写本の中で最も初期のものとなりました。しかも、それには、ギリシャ語の正統派本文(Textus Receptus)の読み方が記されていることもわかりました! 「どれが本物の聖書なのか?」(フロイド・N・ジョーンズ博士著 第九章の「第一世紀の新約聖書写本」の項を参照]
 3000以上ある新約聖書のギリシャ語写本のうち、約1700の写本は十二世紀から十四世紀のものです。それらは、九世紀から十一世紀の640の写本とともに、新約聖書のほぼ99パーセントの語と基本的に一致しています。しかし、これらの大多数の写本は、初期の世紀の写本(バチカン写本やシナイ写本など。それらの写本の間でも、かなり相違があります)のほとんどと、かなり相違するのです。  こうして、この状況が、新約聖書の原語についての論争を引き起こしてきたのです。
 ところで、過去百年の間、この学問の世界では、「この多数派本文は、第二位の、より劣った本文である」という見解に支配されてきました。学者たちは、「私たちはこれまでずっと、原文と同じ真の聖書本文を持ってきた」という立場を退け、あの初期の少数の写本(バチカン写本・シナイ写本)を土台にして新約聖書の最初の本文を復元しようとしてきたのです。
 しかし、それらの写本は、それらの写本同士の間でもかなり相違しているため、その結果として出来上がったのは、取捨選択的な「パッチワーク・キルト」のようなものでした。今日主流の「取捨選択的」手法によるギリシャ語本文の編集者たちは、通常、ただ一つのギリシャ語大文字写本にのみ従っており、多くの箇所で、彼らは、知られているどのギリシャ語写本にも見出されない本文を出版してきたのです! この「取捨選択的」本文と、あの多数派の本文(ギリシャ語の正統派本文)の読み方との相違は、約8パーセントです。それは、600ページの本文の中で、48ページ分すべての分量が相違していることになります。そのうちの約五分の一は、その「少数派本文」の中では削除されているため、約10ページ分が多数派本文より短いのです。
 ほとんどすべての現代版の聖書は、この「少数派本文」を土台としている一方で、キング・ジェームズ版聖書は、「多数派本文」の双子の兄弟である本文を土台としています。そのため、キング・ジェームズ版聖書の読者がよく知っている非常に多くの節や語句などが、現代版の聖書にはないのです。  

どちらが「神のことば」なのか?

 問題は、この二つのギリシャ語本文のうちのどちらが「神のことば」なのかということです。
 この初期の大文字写本(バチカン写本・シナイ写本)を擬似的なもの(偽物)として退けるべき理由が多くあります。調べてわかるのは、他方の「多数派本文」のほうは、何世紀にもわたって主流として受け継がれてきたことです。なぜなら、教会はそれを、神がお与えになった本文であるとみなしてきたからです。それは、地理的にも最も広範囲に、また、最も長い期間継続して広まっているのです。
 「少数派本文」が教会内で広く流通したことは一度もなく、それは四世紀以降、実質的に消滅しました。しかも、それらの本文はほとんど継承されてなく、それらの時代に拒絶されていたことを明らかにしています。つまり、それらはコピーする価値があるとは、みなされなかったのです。
 初期の少数派の写本は多数派の写本と相違しているだけでなく、それら少数派写本同士の間でも重要な点で相違していることは、確かな事実であり、このことは、それらが本物の本文であることの信頼性を土台からくずしています。
 「どのギリシャ語本文を使っても、キリスト教の教理は実際には何も影響を受けない。だから、そういう議論自体が、取るに足りないものた」とよく言われます。
 しかし、そうではありません。なぜなら、たとい、「多数派本文」と「少数派本文」の相違点の半分を「取るに足りないもの」であるとしても、それでもまだ約25ページ分の重要な相違点が残るのです。 しかも、この「少数派本文」は、合計10ページ分を本文から削除しているのです。  

「擬似的」本文のまちがい

 さらに、この「少数派本文」(バチカン写本・シナイ写本)は、聖書が無謬(全く誤りのない)のものであるという教理を防御できなくさせてしまう決定的なまちがいを導入しました。
 たとえば、マタイ1・7と1・10は、実在しない「アサフ」と「アモス」という二人の王をキリストの家系の中にリストとして挙げています。一方、伝統的本文は、「アサ」および「アモン」と正しく記しています。
 少数派本文のルカ23・45の読み方には、科学的な誤りがあります。ここには、キリストが死なれた時、日食が起きた(ギリシャ語『エクリポントス』)と述べられていますが、これは不可能です。なぜなら、過ぎ越しの祭りはいつも、満月の時にあるからです。日食が起こり得るのは、新月の時だけです。伝統的本文には、「太陽は暗くなった(ギリシャ語『エスコティセー』)と書かれています。(詳細は「改ざん聖書の改ざん箇所」(フロイド・N・ジョーンズ博士著)を参照)
 ヨハネ7・8の少数派本文は、イエス様は彼の兄弟たちに、ご自分はその祭りには「行かない」と語っており、その2節あとで、彼は「行っている」ことを述べています。伝統的本文は、イエス様が、「私は、まだこの祭りには上って行きません」と言われたことを記録しており、何の矛盾も存在しません。
 この結果…「永遠の裁き」、「昇天」、「イエス様の神性」などのいくつかの教理は、かなり弱められています…
 「神の霊感」という教理に、大きな荒廃が及ぼされています。これは、「取捨選択された新約聖書本文」から入り込んだ、明らかな事実誤認と矛盾によるものです。神の霊感は相対的なものとなっているのです。また、聖書が人間に託されてきた誤りのない神のことばであるという「聖書についての教理」も支持されないものとされているのです。
 こうして、現代の学術界は、新約聖書の本文の信頼性根底から致命的に浸食してきたのです。
 この信頼性の危機は、数々の現代版聖書によって一般信徒たちの注意をも引いています。それらの聖書は、本文の一部を括弧でくくり、多くの脚注(それはしばしば不正確であり、ゆがめられています)を付け加えています。そういうものが、本文の信憑性について疑問を生じさせているのです。さらに、この信頼性の危機は、あの「取捨選択された本文」に基づく数々の翻訳版聖書および改ざん版の新約聖書を通して、世界中に広められつつあるのです。
                     
(「どれが本物の聖書なのか?」より抜粋)  




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私は45年間だまされていた本当の聖書に目覚めた聖書学校創立者!
 「私は一度も疑ったことがなかった! 私はまちがった助言をするという誤りを犯していた!」
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改ざん聖書の改ざん箇所(F・N・ジョーンズ博士著)をお読みください。

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