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HOME >聖書の教え 真理と偽り > |
明治時代以降、日本に宣教師たちが来日し、福音を語り、聖書を教え、教会を建て上げました。 その結果、今日、さまざまなプロテスタントの教会や教団が日本に存在しています。 さて、「米国●●教団」という神と神のことばを全面的に信じる福音派の教団から、宣教師が派遣されたとしましょう。 彼らの宣教と援助、および熱意と愛の結果、同じ名称を含む「日本●●教団」が誕生して現在に至っているとします。 ところで、「米国●●教団」と「日本●●教団」は、「米国」と「日本」の相違以外、同じ教会生活を現在も送っているでしょうか? 後者は、前者の教団の組織、教理、活動内容等と同じであるかもしれませんが、一つの重要な点については、同じにできなかったことがあります。 それは、採用する聖書の種類でした。 HP『全くちがう二種類の聖書』でも明らかなように、アメリカ福音派の聖徒たちはキング・ジェームズ版聖書(KJV)を読んでいます! 2016年のアメリカの大学の調査によると、このKJVを最もよく利用しているのは、バプテスト派、ペンテコステ派などでした。 1611年に初めて発行されたKJVは、それから四百年以上もたつ21世紀の現在でも「最もよく読まれている聖書」です。 KJVとそれ以外の口語訳・新改訳・共同訳などの『現代版聖書』との根本的違いは、その土台の聖書本文(底本)です。 KJV以外のほぼすべての聖書は、KJVの本文とは異質のUBS本文やネストレ-アーラント版本文(NA)の『改ざん本文』に基づく聖書です。(詳細は→カトリック傘下の改ざん聖書参照) ですから、二つの教団は使用している聖書が異なるのです。
では、この米国人宣教師が幾世代も後の日本の教会を見学するとして、彼はどういう状況を目にすることになるでしょうか? |
●ケース1
これは、日本語の現代版聖書の中に書かれていることばです。 このことばを福音派の説教者が教会の講壇に立って語る時、何が起きているでしょうか? この説教者は、「みなさん、神はすべてのもののうちにおられます」と宣言しています。 すなわち、彼は『汎神論』(はんしんろん)という人間的思想・哲学を教えています! ある日本人の聖職者はネット上でこの箇所を解説して、こう教えています。
これは聖書の教えでは全くありません!
本当の聖書のみことばは、こうです。 つまり、エペソの聖徒たちの内に神はおられると聖書は言っているのです。 ところが、「みなさん、神はすべてのもののうちにおられます」と語る説教者は、「真理のみことば」(第二テモテ2・15)を教えているのではなく、『汎神論』(はんしんろん)という人間的思想・哲学を、神のことばとして教えていることになります。 神がその説教者を召されたのは、『汎神論』という思想・哲学を宣べ伝えさせるためではないはずです! 改ざん聖書から説教する人は、必然的にそれを『真理』として神の名のもとに語っているのです。 彼が語っているのは、ヒンズー教徒やニューエイジの人々が聞いて喜ぶメッセージです。 |
●ケース2
この箇所を講壇から語る説教者は、いったい何を語っているのでしょうか? これを聞く人は、「人間は、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧なのだ」と理解するはずです。 それは、『霊魂消滅説』と呼ばれる人間的思想・哲学であり、「罪人は死後に消滅してしまう、地獄で永遠の裁きを受けることはない」という考え方です。
本当の聖書のみことばは、こうです。 つまり、本当の聖書はこの箇所で、人間の地上での命の長さが短いものであることを述べているのです。 ところが、「みなさん、あなたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です」と語る説教者は、「真理のみことば」を教えているのではなく、『霊魂消滅説』という人間的思想・哲学を、神のことばとして教えていることになります。 神がその説教者を召されたのは、『霊魂消滅説』という思想・哲学を宣べ伝えさせるためではないはずです! 改ざん聖書から説教する人は、必然的にそれを『真理』として神の名のもとに語っているのです。 彼が語っているのは、エホバの証人やセブンスデー・アドベンチスト教会の人々が聞いて喜ぶメッセージです。
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●ケース3
このようなことばを「真理のみことば」として説教者が語る時、これを聞く一般の理性ある人々は、こう受け留めるのではないでしょうか? 「結局、イエスは『行かない』と言っておきながら、行ったではないか。 イエスがうそつきの人間であるか、それとも、聖書には偽りが書かれているか、どちらかにちがいない。 キリスト教の人々は、こんな明らかな偽りを信じていたのか」
本当の聖書のみことばは、こうです。 イエス様は真実を語っておられたのです。 問題視されることは全く何も存在しません。 しかし、「イエス様は『私はこの祭りには行きません』と言われたが、後で上って行かれた」と講壇から語る説教者は、「真理のみことば」を教えているのではなく、人々に、「イエスがうそつき人間であるか、聖書にいいかげんなことが書かれているかだ」と吹き込んでいることになります。 |
●ケース4 さらに、このような明らかな偽りのことばもあります。
これも、日本語の現代版聖書の中に書かれていることばです。 このことばを福音派の説教者が教会の講壇に立って語る時、何が起きているでしょうか? 現代の理性ある一般の人々がこのようなことばを聞く時、こう思わないでしょうか? 「世界のどの国であっても、近親相姦は存在するではないか。 『異邦人の中にはそのような行いはない』と言い切っている聖書は、古代の無知な人々が書いた、あまり価値のないもののようだ」
改ざん聖書から説教する人は、必然的にそういう『偽りのことば』を『真理』として神の名のもとに語っているのです。 それは、一般の理性ある人々を教会や聖書から離れさせている要因の一つであるかもしれません。
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●ケース5
この箇所を「真理のみことば」として説教者が語る教会では、ローマ・カトリック教会で行われている『告解』のように、信者は『告解室』に入って牧師かだれかに自分の罪を告白しなければならないはずです。 カトリック教会がこのことばを守って実行しているように、です。 実際、日本のプロテスタントの教会の中に、「グループの中で罪を告白するというルール」を定めているところがあるそうです。 信者たちのプライバシーに入り込む恐ろしいルールです! 信者でも牧師でも、たとえば、「女を見て彼女への情欲を抱く者はみな、すでに彼の心の中で彼女と姦淫した」(マタイ5・28)場合でも、自分のその罪をだれかに全部さらけ出さなければならないことになります。
けれども、 このヤコブ5・16の本当の聖書のみことばは、こうです。 この「あやまち」(過失、まちがい、ミス)とは、「罪」のことではありません! この両者は異なるものです。 改ざん聖書のこの箇所のことばに忠実に従おうとする人々は、自分で罪の悔い改めの祈りをするだけではいけないことになり、だれか他の人間に自分の罪を告白しなければならないことになります。 しかし、使徒ヨハネはこう教えています。 すなわち、神に自分で罪を告白すれば、すぐにその場で赦していただけるのです。 したがって、だれにも自分の罪を言い表したり、告白したりする必要はありません。 キリスト教会の講壇から、「あなたがたは互いに罪を言い表さなければいけません」と告げる説教者は、信者たちを非常に窮屈にし、プライバシーにまで立ち入る偽りの教理を神の名のもとで告げていることになります。
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●ケース6 マルコ16・9〜20は非常に重要な箇所の一つです。 ただし、悪魔や悪霊にとっては、最も嫌う箇所であるはずです。 なぜなら、彼ら自身の働きを妨げることになる箇所だからです。 本当の聖書にはこう書かれています。 日本でも、この箇所にある通りのことを行って人々が悪霊から解放される証しが起こされています。 それこそ聖書的なことです。 イエス様はあの七十人をお遣わしになった時、「蛇どもやさそりどもを踏みつけ、あの敵のあらゆる力の上にある権威」(ルカ10・19)を彼らにお与えになりました。 そして、この七十人は出かけて行き、その権威を行使しました。 彼らは帰って来て、イエス様に伝道報告をしました。
この七十人は、自分たちに与えられたイエス様の御名の権威を行使したのです。 そして、それは「あの敵のあらゆる力の上にある権威」であるため、悪霊どもは七十人の命じたことに「服従」して人々から出て行ったのです。 イエス様が託されたこの権威は、この七十人の弟子たちだけのものではありませんでした。 なぜなら、イエス様はそれを「すべての信じた人たち」にもお与えになり、こう約束されたからです。 本当の聖書に書かれているこの箇所を読み、信じる世界中の聖徒たちにより、また日本の聖徒たちにより、このみことば実践され、実証されています。 人々は悪霊から解放され、病気もいやされ、人々は自由にされています! つまり、彼らは、次のような証しをしているのです。 「牧師先生、イエス様の御名によって、悪霊どもは私たちに服従しました! ハレルヤ!」 「みなさん、私がイエス様の御名で命じたら、○○さんから悪霊が出て行って、彼(彼女)は解放されました! ハレルヤ!」 それは「御霊と御力との提示による」宣教です。 パウロは第一コリント2・4でこう述べています。
ところが、改ざん聖書では、マルコ16・9〜20の重要箇所は、『括弧付きの扱い』か『印刷もされていない扱い』にされています。 (『日本語聖書の改ざん箇所』やHPの説明から明らかなように、これらの改ざんは、偽造二写本や二人のサタニストやキリスト不信者らに起因しています。詳細は→カトリック傘下の改ざん聖書) この改ざん聖書の取り扱いを正しいと信じる説教者は、講壇からこう説明するかもしれません。
彼は、信者一人一人にイエス様から与えられている権威、すなわち、「イエス様の御名による権威」を、信者たちが行使するのをとどめていることになります! そうして、「牧師先生、イエス様の御名によって、悪霊どもは私たちに服従しました! 私がイエス様の御名で命じたら、○○さんから悪霊が出て行って、彼(彼女)は解放されました!」という証しが聞かれることは、なくなるでしょう。
本当の聖書の真実と、現代の聖書改ざんの実態を知っていただくために、エターナル・ライフ・ミニストリーズは6冊の本を発行し、またホームページでも多くの情報を提供しています。 エターナル・ライフ・ミニストリーズは、日本と世界のすべての教会の講壇から、神の本当のみことばが語られるようになることを望んでいます。 |
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